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マリア・モンテッソーリについて

マリア・モンテッソーリは、1870年イタリア生まれの医学博士・幼児教育家です。イタリア初の女性医師としても知られています。 ローマ大学卒業後、当時まだ男性社会だったイタリア医学会で様々な差別を受ける中、精神病院に就職し障害児の治療教育に携わり、実験心理学、教育学にも研究分野を広げ、またフランスの医師セガンの著書に出会い、その理論に従って治療教育を進め、 大きな成果をあげました。 また、1904~08年には、ローマ大学教育学部で教育人類学を講じました。

ある時知的障害児が床に落ちたパンくずで熱心に遊ぶ姿を目撃し知的進歩を絶望視されていたその子が感覚刺激を求めることに注目した彼女は、指先を使う玩具を次々に与えたところ、知的障害児でも劇的に知能向上が見られ 当時の健常児の知能さえ上回ることを発見しました。これがいわゆる「モンテッソーリ教育」の感覚教育法の原点となっています。

「障害児と取り組み始めた当初から、私が用いている方法は、障害のある子どもの 教育だけにとくに限定されるものではない、と感じていました」と、マリアは書いていますが、 やがて、障害児に用いた教育法を健常児にも適応する機会が訪れました。 ローマ不動産協会が貧困層向けのアパートに保育施設を設け、その監督・指導を マリアに任せたのです。

こうして1907年1月「子どもの家」(現在ではモンテッソーリ教育を実践する 幼児教育施設をいう)が生まれました。 そこでの実践から生まれたのが「モンテッソーリ教育法」です。

マリアはその後、この教育法の普及と教師の養成に精力的に取り組み、 多くの著作を残しました。また彼女はシングルマザーとして子どもを育てた息子の兵役拒否をしたことでムッソリーニ政権と対立し、スペインやインドに移住。 その後も彼女の教育法への理解者を増やしモンテッソーリ教育を広めていきました。ガンジーやタゴールとも面識がありましたようです。その平和教育思想からノーベル平和賞候補にも上がりました。晩年には、平和と子どもの生命の尊重を訴える運動を展開し、 ノーベル平和賞の候補にもあげられました。 マリアは、ファシズムを逃れて移り住んだオランダで亡くなりました。

彼女の墓碑銘には、「愛する全能の子らよ、人類と世界平和のために、私と力を合わせよう」 というメッセージが記されています。

画像出典
上:https://en.wikipedia.org/wiki/Maria_Montessori
下:https://montessori-ami.org/resource-library/facts/biography-maria-montessori

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